設立からの歩み

設立からの歩み

1989年12月に株式會社愛和を設立、翌年1990年に三軒茶屋に1号店愛和ハウジング(株式會社愛和)を開業したのが今から30数余年前の事でした。

小さな店舗でしたが売買仲介を中心に夢多き出発をしましたが、すぐさまバブル崩壊!崩壊の原因は多々ありますが、その頃の国の政策は国土法という一定の大きさの土地・建物等を売買契約前に役所に届け出をさせ、取引価格が国の定めた基準値より高いと取引不可という厳しい条例が施工されていました。並行して銀行の不動産融資に関しても総量規制という厳しい融資引き締めに合い、不良債権が続出し高い土地は塩漬け状態となり売買仲介の不動産会社は長い真冬の時期を歩む事となりました。

要するに、国土法によって抵当権が外せないから売れない、総量規制によって買いたくても住宅ローン基準がきびしくて買えない、ということでした。

平成3年頃から数年間は売買仲介を中心にしていた不動産会社や買取業者の大半が倒産もしくは業務縮小という不況の真只中にあり、当社も何とか賃貸仲介で荒波の中をさ迷っておりました。

そんな中でも平成7年当時大手デベロッパーに750坪というマンション用地を仲介提供したり、都内城南エリアにいくつかの中型マンション用地などをお世話したりしてほっと一息ついたりしたものでした。

その中で学んだ事は、どんなに安い賃貸物件のお世話や厳しい境遇の方のご相談なども手を抜かず精一杯お世話する事が仲介業者としての原点だと悟りました。

私たちの不動産仲介及び管理業はいわゆるサービス業です。

相談者の方の話をよく聞くと結構色々な面でお困りの方や悩まれている方がすごくたくさんいらっしゃる。やはり人生・生活の拠点をお世話する訳ですから、ラストに「ありがとう」と言って貰える事がこの仕事を続けていく上での誇りだと感じました。

多分苦難の時代背景の中で感じとったのかも知れませんね。これがずーっと順風満帆だったらこのようには悟らなかったかもしれませんね?

旧店舗
旧店舗2

この頃の思い出深いエピソードにこんなのがありましたっけ。

当時フランス人のデザイナー夫婦が住んでいた賃貸一戸建が売却の為、立退きになり、大手不動産会社の担当がそのご夫婦の移転先を必死で探しましたがどれもこれもご夫婦が納得してくれず、その担当者も困り果て私に助けて!と依頼してきました。売却のあっせんをしていたのが私だったのでその夫婦にお会いして移転先を探すこととなりましたが、ご夫婦曰く、前回部屋を探した時は200軒内見したと言っておられました。

「私たち夫婦は妥協をしない!」ときっぱり!これはとんでもない依頼を引き受けたなぁ?と思いながらもお世話をしたら何と3軒目で決めて下さいました。

何故かそのご夫婦はえらく喜んでくださり、何年かしてその方達が母国フランスへ帰られた際私の事をあるフランス人の方に話をしてくださったようでした。その紹介していただいた人物からある時国際電話がありまして、「今度日本に就任するから家を探してください」と頼まれました。

その後来日されてお会いしたら、その方も「私は何十軒も家を見てから決める!妥協はしない」と同じようなことを言われていました。

けれど結局10軒も内見しないであっさりと決めて頂きましたが、50帖のリビングがある7LDKに桜の木が植えてある豪邸でした。

実はその方はフランスの世界的トップブランド、知らない方はいない、特に女性は憧れのトップブランド企業。今度日本を含むアジア太平洋地域に就任される事となった有名な社長ご夫婦でした。

小さな事からコツコツと・・・運命というのはどう転ぶか判りませんね。

三軒茶屋店時代にこんなエピソードもふたつばかり・・・。

ある日の夕方、疲れ果てたOL風の女性の方が安いワンルームを探しに来店されました。

「なんでそんなに疲れてるんですか?」と聞くと渋谷の不動産会社を何軒も廻ったけど希望家賃が安すぎて誰も真剣に取り合ってくれないと言っておりました。

私はある安い部屋をお世話した所、えらく喜んでくれてそこに引っ越ししました。その方曰く、その部屋に越したら運気が上昇したとの事でした。その後作詞家としてトップレベルになり有名なミュージシャンの曲を手掛け、ベスト10内に3曲同時ランクインするくらいにまで登り上がりました。その後その方が結婚される時も当社で、家族が増えた時も当社で、果てはご主人の会社や関係者さん達までもが当社で・・・。

もうひとつはやはり8万円位の広めのワンルームを探しに来たOLさんがいらっしゃいまして、その方もお部屋を気に入ってもらってしばらく経ち、その彼氏がある企業の総務の方を紹介くださいました。それが何と当時TVゲームで有名な大企業の本社移転だったのです。

三井不動産の友人に協力を依頼してお世話したフロアの広さが約800坪(2500㎡~)仕事で、搬入するTVが約300台、月額賃料1300万円でした。

8万円のOLさんのワンルーム探しをコツコツとやったら結果が大企業の本社移転に化けてしまった。

どんなささいな仕事でも依頼された以上手を抜いてはいけない、サービス業とはそれが原点だ!その信念から転じて大きな仕事に繋がる事があることを肌で感じたエピソードを3つ紹介してみました。

三軒茶屋時代では、やはりある方をお世話した所、その方のご紹介で大手芸能プロダクションと提携して頂く事となり、そこから約15年間の間に数百件以上という有名なタレントやミュージシャン、役者さん、果てはそこから違う多くのプロダクションやTV局の担当者を紹介頂き、業界関係者の方々のお世話をさせていただいた時期もありました。

現在は大手プロダクション会社さんも独自の不動産部門を作られて提携はしておりませんが、今でも当時お世話した方々がリピーターとしてご相談に来られたり、また別の方をご紹介してくださったりと、ありがたい運営を行っております。

不動産市況もやっと活気を取り戻した1999年当時、大手不動産会社の特約店に加入する事となり、店舗坪数も大きくする事になりました。そこで私が幼少の頃から育った地元でもある代々木公園エリアに移転をしました。
現在の代々木公園・代々木八幡駅前にある店舗がそうです。

小さい頃から育ってきた代々木・原宿・渋谷は私の庭みたいなものですが、代々木公園駅前に移転してきた当初はこの商店通り沿いに面した不動産会社がなぜか少なく、渋谷方面から歩いて来られたお客様が「やっと不動産屋さんがここにあった!」と言われる程でした。

その分当時は街の不動産市況も意外と古い物件が多く、三軒茶屋の募集物件数の5分の1にも満たないという極端に少ない物件数に驚きつつも、相談に来店される方はものすごく多く、仕方ないので他沿線のエリアも並行して車でご案内したりしておりました。

当時一日平均6組以上の方が毎日来店され、休日の多いときには最高15組くらい来店される事もありました。現在では考えられないような時期がありましたですな。

当時の相談者の中には結構大手デベロッパーや賃貸投資会社の方も多く、随分と周辺家賃相場やどんな物件を建てたら好まれるか?等の相談にご提示させて頂いたものです。

その後賃貸マンション当が周辺であちこち新築ラッシュになったのは当社からの爪のアカ程度ですがアドバイスも効果があったのかなぁ?と自負しております。

大手不動産会社の特約店を6年間程続けさせて頂きましたが、ハウスメーカーさんとよく間違えられる事も多かったのと、その他の大手不動産様とのパイプも広げたく特約店を脱却しました。社名もグローバル化を広げる為に「愛和ハウジング(株式會社愛和)」から平成20年に「株式会社愛和ハウジングサポート」へと変更し現在に至っております。

管理物件も数多く長きに渡り預からせて頂き、いまだにお付き合いさせて頂いている事に感謝の気持ちが絶えません。

現代は今と違って不動産会社に直接ご相談に来店される方よりも、インターネットのウェブサイト情報を通してお問合せ頂く事が大半を占める時代となりました。

当社は今までご紹介やリピーター等の方々・飛び込みでご相談に来られる方が多く、ホームページ等にあまり力を入れてきませんでしたが、時代の流れを考えるとこのようなあゆみを記載して当社を知って頂かないという状況になってしまいました。

不動産会社を検索するとものすごい数の不動産会社が「我こそは業界1番!」みたいな見出しでマメにブログまで作成して宣伝していることに驚きを隠せません。

今から20数余年前に三軒茶屋駅から徒歩7分くらいの中里商店街という小さな商店通りにわずか7坪という会社をおこしてから現在に至るまで、たくさんの方々をお世話しつつ今に至っております。

けれど気持ちはやはり創業当時の心構えを忘れずに「小さな事からコツコツと」をモットーに不動産仲介・管理業を今後も続けていきたいと思います。今後ともご愛顧を賜わりますようお願い申し上げます。

代表取締役 畑 光彦

賞状3